広島・長崎の両市がオリンピック招致に名乗りを上げた。「核廃絶のシンボルに」という理念はIOCに一定のインパクトを与え、世界中の人々にわかりやすいメッセージを発信するだろうが、わしは原則反対!オリンピックを政治的・商業的に利用することには、もう食傷気味なのだ。「純粋に、世界レベルの競技を楽しみたい!」「飛んだり跳ねたり走ったり、スポーツの持つ醍醐味を子どものように『うわあ、すごい!』と感じたい」。わしが五輪に期待するのは、これである。
核廃絶を訴えるなら、もっと別のやり方があるはずだ。例えば、両市の主催として、国際的なシンポジウムを立ち上げる。国籍を問わず、学者、政治家、活動家や関係者、それに市民を巻き込んだ専門性の高い、しかし開かれた集まりを目指す。ただし、それだけでは「核オタクが、また・・・」と取られかねないので、併せて、コンサート、映画・演劇祭など、祝祭的な要素をふんだんに盛り込む。世界中の超一流のアーティストが参加したいと望み、一般の人々が「一生に1度は、ぜひ観に行きたい」と思うようなイベントに育て上げるのだ。
核廃絶には、過去のあやまちに対する反省や追悼の意味合いが濃いのは確かだが、もっと未来志向のアプローチがあってよいはずだ。ドンドン高度化する兵器開発に負けない知恵と工夫と情熱が、平和主義には必要なのである。
<人生一本勝負!>
Q:最近の鳩山総理の落ち着きぶり、「勝者のゆとり」でしょうか。(国?志望/東京都Kさん)
A:ゆとりをかましているヒマは、ないはずだ!