昨日、「優れた先生を生み出す条件」について書いたが、わしは、先生の原点は、官ではなく、民に求められるべきだと思っている。良い例が、江戸時代の後期に発展した「私塾」である。
私塾は、政府や藩など、ときの権力が設置した教育機関とは一線を画し、教える側の個性と、教えられる側の個性が、“志”の一点においてぶつかり合った自発的な教育機関だ。有名なものとしては、吉田松陰の松下村塾、シーボルトの鳴滝塾、緒方洪庵の適塾、大塩平八郎の洗心洞塾などがある。
また、個々は有名ではなくても、総体としての存在が貴重であり、日本人の教育水準の向上に実効力を大いに発揮したものがある。僧侶や浪人たちが、町の子どもらに読み書きそろばんを教えた「寺子屋」である。
以上の歴史的事例から考えても、教育とビジネスの融合には、「社会に貢献するという“志”」が欠かせないことがわかる。もう一歩踏みこんで言えば、「本来、あらゆるビジネスには、“志”が必要なのである」。
国民1人ひとりが、民の立場から自らの仕事を省みて、「他者や社会の役に立っているのか?」と自問し続けることが、社会人としての最低限のマナーになればと、わしは願っている。
<人生一本勝負!>
Q:友人に、資格取得を趣味にしているような女性がいます。「スゴイ!」と思いながら、「?」と疑問にも感じるのですが……。(行政書士志望/三重県Sさん)
A:資格を硬直的に考える必要はない。「自立するため」「自己啓発のため」「退化・老化を防ぐため」などと、様々な動機があっていい!