今日から4日連続で、勉強についてのわしの思いをつづります。
これは、このたび出版した本「できない自分をいじめない!『自分改造勉強法』KKロングセラーズ」のプロローグです。
1.僕にとって勉強を始めることは、自力で生き始めることだった
ほとんど、何にも、学んでいない。28歳で新聞記者を辞めたのは、そんな思いからだった。
小学生のときから勉強が嫌いで、中学・高校の成績は常にクラスで最下位グループ。大学の受験勉強は、あえなく全敗した。学校のグラウンドで長距離走をしていたら、いつの間にか一人だけ周回遅れ、みんなはさっさと進学・就職と進路を決めたのに、自分だけ社会の第一線から取り残されたような気分になった。
一浪してようやく志望校に入ったものの、生活を稼ぐためのアルバイトに明け暮れ、学業はもちろん、就職活動もろくにしなかったのに、たまたま新聞社に職を得ることができたのは、ドのつくまぐれとしか言いようがない。
毎月の締め切りに追われる記者の仕事は、元来、貧乏性でせっかちな気質に合っていたが、様々な事件や出来事を通じ、多くの人々の人生を垣間見るにつれて、自らの生き方への反省が、やみ難くふくれあがってくるようになった。
「僕は、本当の意味で、勉強をしたことがない」。
社会人として一応の格好はついたものの、親の助けと運だけで渡ってきたような人生に、自信を持つことができなかった。
成績がよいとか悪いとか、有名な学校・会社に入った落ちたといった表面的なことではない。「生きるために、本気で学んだことがない」という弱みが、精神的な負い目となり、社会や他者に対する漠然とした劣等感として、心のしこりになっていたのだ。
30歳を目前にして、身に過ぎた定職を投げうち、ゼロからもう1度やり直そうと決意したのは、「飢えにも似た学びへの欲求」が高まっていたからである。
同世代からは立ち遅れ、若い人たちからコテンパンにまかされるかもしれないという不安もあったが、「ここで退いたら、人生そのものを棒に振ってしまう!」という危機感に突き動かされたのだ。
僕にとっては勉強を始めることは、自力で生きることを始めることだった。
<人生一本勝負!>
Q:先生が、「お客さんから感謝される仕事をしろ!」とおっしゃるのがよくわかりました。「ありがとう」と言われた瞬間、自分でもびっくりするぐらい嬉しかったし、やる気がドンと出ました。(CFP志望/女性26歳)
A:仕事の充足感は、自分が勝手に決めるものではなく、ユーザーがもたらしてくれるものなのだ。