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まだ、始まっていないかもしれない

昨日、米自動車大手クライスラーに破産法が適用されることについて触れたが、「今回の世界的な不況が、かつてウォール街を揺るがした1920年代の大恐慌のような深刻さを避けることができたのは、なぜか?」と考えるとき、財政出動をはじめとした国家による対策や、国家間の連帯に思いが至る。
21世紀になって、グローバル化の掛け声が高まり、一部の識者からは、「国家の役割は、今や終わりつつある」といった論調が流行のように提示されているが、現実はそうではないのではないか。「成熟を過ぎ、爛熟の観さえある」と言われる自由主義・資本主義社会も、実際はまだまだ駆け出しのハナタレ小僧で、いい意味での国家の介入や干渉を必要としているのではないか。私たちはいまだ本当の“公”を知らず、「国境を越える経済がすべて」という錯覚に陥っているだけで、法をはじめとした国家が持つ素晴らしい機能を見誤っている、もしくは、上手に使えていないのではないか。そして、国を在り方を真剣に考えれば、ビジネス・チャンスはそれこそ無数に見出せるはず。閉塞感は、自主的な行動を起こさない場合の、気分的な問題に過ぎない。
少しまえの憲法記念日に、憲法を読み返しながら、そんなことを考えました。
<人生一本勝負!>
Q:仕事と勉強で忙しいとき、空腹感はある程度ガマンできます。でも、眠気はガマンできない!(司法書士志望/神奈川県Tさん)
A:そう、我慢してはいけないことなのだ!

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